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みずから読みたい本を


by bunkosha

猛者列伝より

初優勝 PLAYBACK1975.10.15 ― 広島東洋カープがもっとも燃えた日。

堀 治喜 / プレジデント社


カープが初優勝を決めた昭和50年10月15日の伝説のゲームが、はしめて一冊の本にまとめられました。
堀 治喜著の『初優勝 PLAYBACK 1975.10.15』です。

あの日グラウンドで熱く戦い、悲願の栄冠を手にしたカープのレジェンドたち。
その猛者たちの選手像を知ってから読めば、この物語の陰影も濃くなることでしょう。

そこで今回の発刊にあわせて、『カープ猛者列伝』から優勝ナインをピックアップしてご紹介いたします。
副読本としてお読みいただければと思います。


   カープ初優勝戦士 その1 大下剛史内野手
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初優勝をたぐりよせた『44個の執念』

野球中継を観ているとする。バッターが鋭く弾き返したボールがピッチャーの足元を転がり、センターに抜けようかという、まさにそのとき、画面の右隅からスルスルと二塁手があらわれる。「あっ」と思う間もなく二塁手は伸びるように逆シングルで捕球し、振り向きざま一塁に送球する。ボールはランナーが一塁に走り込む寸前に一塁手のミットにおさまり、間一髪「アウト!」。こんなプレイがテレビ観戦の醍醐味のひとつだ。

このプレイを見せ場にしていたのが大下剛史だ。
プロ野球が観せることを前提としているからには、選手には売り物がある。豪球・豪打をウリにする選手がいれば、技巧・巧打をアピールする選手もいる。大下の場合はそれが守備だった。
この売り物の守備が大下の運命を大きく変え、カープというチームに栄光をもたらすことになる。

ときは昭和49年。当時東映フライヤーズの二塁手だった大下は、大阪球場での南海戦で、自慢の守備を見せた。ランナー一塁でショート・ゴロを捕球した遊撃手からの送球を受けた大下は、いつものように走者に軽くタッチするや、その反動で一塁に送球した。ダブル・プレイの完成だ。ところが二塁の塁審は「セーフ」をコールした。完全にタッチしていたが、塁審は見逃していた。激昂した大下は抗議したが判定はかわらない。しかも、このタッチ・プレイをめぐって、味方チームのコーチと険悪なムードになった。
「キミのタッチが甘いから、セーフになった」
コーチは大下を責めた。

日ごろからコーチは大下のプレイを「基本に反する」といって批判していた。じぶんのプレイを理にかなっていると確信している大下との間には、いつからか修復できない溝ができていた。その日からふたりの確執は決定的となり、たぶんそのことが原因で大下はそのシーズン・オフにカープにトレードされた。

電話一本で「トレードに出す」という球団の姿勢に立腹したが、郷里の広島であったことは救いだった。「やってやろう。広島で見返してやる」大下はそう誓った。

この事件が49年に起こったというところが面白い。いうまでもなく、50年のカープ初優勝に大下が果たした役割は少くない。いや、もし大下がトレードで移籍してこなければペナント・レースの帰趨はどうなっていたかわからない。とすればカープ球団にとって、この事件が幸いしたといえるだろうし、後の大下にとっても吉とでた。災いは転じて、いつか福となるものだ。

新監督ルーツによるチームの意識改革。前年に大バケした山本浩二と衣笠(祥雄)。成長著しい脇役たち。ペナントを狙うための要素は揃った。そこに大下といういぶし銀の選手が加わって『カープ初優勝物語』のキャスティングはできあがった。

50年の開幕戦。「一番、セカンド大下」のアナウンスを聞いて神宮球場のバッター・ボックスに入った大下は、ヤクルト・スワローズのエース、松岡弘の快速球を巧みに軽打したかと思えば、スタンドへもぶち込んで見せた。
「これでいけれる」という自信をつかんだ大下は、シーズンを通して快打を放ちつづけた。塁に出れば果敢に盗塁し、ダイヤモンドを駆け回った。大下は走ることで得点に結びつけ、チームをけん引した。

カープに初優勝をもたらした盗塁は44個。これで大下ははじめてのタイトルとなる盗塁王を獲得した。この三年後、53年のシーズンを最後に引退してしまう選手が、確実に衰えている《足》でひたすらつぎの塁を狙った。その執念がカープ初優勝をたぐりよせた。

カープ猛者列伝 私家版

堀 治喜 / 文工舎


by bunkosha | 2016-03-08 22:03 | 出版あれレこれレ